礼拝説教

あなたがたの手足を義の道具として神に献げなさい


2023年11月13日

*日時: 2023年 11月12日, 主日礼拝

[ローマ書 6:12] ですから、あなたがたの死ぬべきからだを罪に支配させて、からだの欲望に従ってはいけません。

私たちはイエス・キリストの完全な恵みによって義と認められ、新しい人になりました。私たちは新しく生まれ変わりました。ここでパウロは「それでは、これからどう生きるべきか」ということを語っています。これは理論でも教理でもありません。パウロの教えは神秘的、観念的な次元(じげん)でとどまるのではなく、実際的であり、具体的です。だから、私たちの現実的な生活の中で実践することができるのです。「ですから、あなたがたの死ぬべきからだを罪に支配させてはいけない。」パウロはそう語ります。救われた者たちを狙うサタンが標的とするもの、それは私たちの「からだ(体)」です。ここでパウロが焦点(しょうてん)を合わせているのは、その「からだ」なのです。

<創世記4章>には、カインとアベルの二人の兄弟の話が記録されています。神様がカインに与えた警告の御言葉があります。[創世記 4:7] もしあなたが良いことをしているのなら、受け入れられる。しかし、もし良いことをしていないのであれば、戸口で罪が待ち伏せている。罪はあなたがたを恋い慕うが、あなたはそれを治めなければならない。神様は「罪が戸口で待ち伏せていて、あなたを虜にしようとしている」と仰いました。罪が虜にしようとしていたものとは何でしょうか。それは、カインの中にある憎しみです。他の言葉で言い換えるなら、兄弟に対する嫉妬みです。カインの罪がここから始まりました。カインはそれを捕らえるべきでした。クリスチャンである私たちにも同様の状況が起こります。罪が私たちを虜にしようと戸口で待ち伏せているのです。

では、その罪が標的としているものは何でしょうか。罪は何を通して私たちの中に入ってくるのでしょうか。それは、私たちの「からだ」を通してです。人間の肉体は時間の経過と共に衰えていき、やがては死に至って腐敗(ふはい)するものです。しかし、そのからだを通して罪が入って来ます。からだが私たちの最大の弱点です。罪がこのからだを基地(きち)として、私たちを支配してきます。罪が暴君のように私たちのからだを支配し、私たちの自由を奪おうとするのです。

イエスを信じれば、全てが一気に変えられて、善良で、聖なる者、完全な者になると考えるのは大きな間違いです。私たちが神様の御子の血の代価によって身分が変わったとしても、私たちの状態(じょうたい)はまだ変わっていません。私たちは状態の完全な変化を達成するための熾烈な霊的戦いの真っ只中(ただなか)に置かれているのです。その熾烈な戦いの現場が、まさに私たちの「死ぬべきからだ」なのです。ですから、多くの人々が山に登ってお祈りをしたり、惰眠に打ち勝つべく徹夜祈祷をします。中には、真冬に冷たいシャワーを浴(あ)びて禁欲の訓練をする人もいます。そのようにして、聖なる者となるために自らを律(りっ)するのです。

聖書には、私たちを聖なる者へと作り変えるのは「真理」であると言います。[ヨハネ 17:17] 真理によって彼らを聖別してください。あなたのみことばは真理です。そして、私たちを自由にするものも「真理」に他なりません。[ヨハネ 8:32] あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。しかし、問題は私たちのからだが真理の支配を受けようとしません。私たちが義と認められ(justification)、真理によって聖なる者となる(sanctification)べきなのに、私たちのからだが、依然(いぜん)として真理の支配の外にあります。(ですから、<ローマ書8章23節>でパウロは「からだの贖われること(贖い、redemption)」を夢見ています。後(のち)ほど<ローマ書8章>で詳しく見ます。)私たちは真理の中に留まらなければなりません。神様はご自身の御言葉によって私たちを罪から守ってくださいます。

<創世記3章>のエバと蛇との戦いを思い出してみてください。神様は先にアダムとエバに御言葉を与えてくださいました。[創世記 2:17] しかし、善悪の知識の木からは、食べてはならない。その木から食べるとき、あなたは必ず死ぬ。しかし、サタンが近寄(ちかよ)って話しかけます。[創世記 3:1] 蛇は女に言った。「園の木のどれからも食べてはならないと、神は本当に言われたのですか。」[創世記 3:4] すると、蛇は女にいった。「あなたがたは決して死にません。サタンは偽りの言葉をもって、神様の御言葉に対する私たちの信仰を揺(ゆ)さぶります。どうすれば、私たちはサタンの狡猾(こうかつ)な誘惑(ゆうわく)に騙(だま)されずに済(す)むのでしょうか。それは、私たちが神様の御言葉の中に留まることによってです。しかし、それだけではなく、私たちがその御言葉を絶対的に信じなければなりません。そうする時に、御言葉が私たちの心を守ってくれるのです。

「からだの欲望に従ってはいけません」ここで使徒パウロは、からだの欲望に従ってはならないと語っています。罪は私たちのからだの欲望を通して入ってきます。たとえ私たちがアダムから受け継いだ原罪から自由になり、キリストの下に移(うつ)されたとしても、万事(ばんじ)順調に事が進んでいくわけではありません。<ローマ書6章と7章>において、使徒は罪の力に直面するクリスチャンの生の現実に言及(げんきゅう)しています。使徒は、自分自身のからだを利己(りこ)的な(からだの)欲望に従わせてはならないと言います。欲望自体は価値中立的なものであり、善でも悪でもありせん。しかし、問題はサタンがその欲望を利己的な(からだの)欲望へと変質させるということです。使徒は「罪があなたがたのからだを支配することを許してはならない。利己的な欲望に従ってはならない」と語りました。例えば、朝早く起きること一つをとっても、私たちには大変なことです。心はそうしたいと望んでいるのに、からだが言うことをきかない弱さが私たちにはあります。パウロは救われた者たち、つまり、神様の民として印を押された者たちに向かって、「あなたがたは熾烈な霊的戦いの真っ只中(ただなか)にいるのだ」と話しています。もし私たちが「一度救われたら、後は全て神様がやってくださる」という浅(あさ)かな理解を持っているなら、大きな間違いです。救われた者が直面する現実は、熾烈な霊的戦いなのです。

神様の子どもである私たちクリスチャンは、常(つね)に罪の誘惑にさらされています。罪が私たちを攻撃してきます。神様の御子であるイエス様も、40日間の断食の後にサタンから3つの誘惑を受けられました。ですから、私たちの信仰生活において重要なのは、弛(ゆる)まぬ訓練です。自己を節制(せっせい)する訓練が必要です。私たちが神様の愛と自由を強調する時、一歩間違えば、放縦(ほうじゅう)へと繋(つな)がり、よりいっそう罪を犯す危険があります。しかし、私たちの信仰が完全に守られ、聖なるからだを着(き)せられることを願うのであれば、毎日の熾烈な自己訓練が必要です。自らの信仰に対する真剣さを失わず、また警戒(けいかい)を怠(おこた)ることなく、絶(た)えずキリストの形に倣(なら)って自分自身を作り上げていく努力が必要です。ですから、使徒は「罪に私たちのからだを支配させてはならない」と語ったのです。

私たちのからだの中でも、真っ先に罪が侵入(しんにゅう)してくるのは目です。ですから、その昔、「悟りの道」を歩むアジアの僧侶たちは、笠(かさ)をかぶって、目を半分閉じた状態にしていたといいます。そうすることで、世俗の悪しきものを見ることなく、ただ悟りを得ることだけを求(もと)めたのです。目がそれほどに重要です。目を通して心が乱(みだ)され、からだの欲望が生じて、最後にはからだが罪によって支配されるかも知れません。ですから、パウロはエペソの信徒たちに、「罪が私たちのからだに入って来ることのないように、武具(ぶぐ)を身に着(つ)けなさい」と言いました(エペ6:10-19)。私たちのからだが罪に占領(せんりょう)されることのないように、常(つね)に霊的戦いに備(そな)えるべきだということです。私たちは、罪との戦いに打ち勝つことができるように、自分自身を鍛錬(たんれん)しなければならないのです。

[ローマ書 6:13] また、あなたがたの手足(てあし)を不義の道具として罪に献げてはいけません。むしろ、死者の中から生かされた者としてあなたがた自身を神に献げ、また、あなたがたの手足を義の道具として神に献げなさい。

「死者の中から生かされた者として」と言いました。私たちが自分自身をどう見ているかということがきわめて重要です。パウロは、私たちが自分自身を死者の中から生かされた者として考え、私たちのからだを神様に尊く用(もち)いられる義の武器として献げるべきだと説いています。パウロが考えているのは、神様がご自身の御業を行われるためには、人間のからだが必要だということです。サタンも同じく、彼の働きを行うためには人間のからだが必要なのです。ですから、誰がそのからだを掌握するかが重要です。私たち一人ひとりがサタンに掌握されるなら、サタンの武器になりますし、神様に掴んでいただくなら、神様の武器にもなります。罪の欲望に従って用いられるなら罪の武器になり、義のために用いられるなら義の武器になるのです。パウロは「あなたがたの手足を不義の道具として罪に献げるのではなく、義の道具として神に献げなさい」と語っています。Ω

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