礼拝説教

被造物自体も、滅びの束縛から解放され、神の子どもたちの栄光の自由にあずかります


2023年12月31日

*本文: ローマ人への手紙8章21-23節

21 被造物自体も、滅(ほろ)びの束縛(そくばく)から解放され、神の子どもたちの栄光の自由にあずかります。22 私たちは知っています。被造物のすべては、今に至(いた)るまで、ともにうめき、ともに産(う)みの苦しみをしています。23 それだけでなく、御霊の初穂(はつほ)をいただいている私たち自身も、子にしていただくこと、すなわち、私たちのからだが贖われることを待ち望みながら、心の中でうめいています。

[ローマ8:21] 被造物自体も、滅びの束縛から解放され、神の子どもたちの栄光の自由にあずかります。
被造物は深い呻(うめ)き声を上げながら、解放されることを望んでいると言いました。被造物は、堕落した人間に従うのではなく、神の子どもたちに仕(つか)え、彼らが享受(きょうじゅ)する栄光の自由に共に与(あずか)りたいと願っているのです。解放されることを望んでいるのは人間だけでなく、被造物もまた、解放のいっときを待ち望んでいます。主が死の力に打ち勝たれて復活し、永遠の命の世界を開いてくださいました。その恵みと愛の力に従って、神の子どもたちが現われるのです。そうして真に美しい世界がやってくるのです。被造物もこの美しい世界の到来を望んでいるのです。

今、使徒は宇宙的に回復された美しい世界に対する夢を語っています。偉大(いだい)なグランドフィナーレがやってくるということです。究極(きゅうきょく)の栄光の日、自由の日は必ずやってくるのです。ですから、キリスト教の歴史の未来は、非常に楽観的です。その素晴らしい世界は必ずやってくるからです。

もし、この世から罪がなくなったら、どうなるのでしょう。美しい世界が回復されたら、どうなるのでしょうか。<ヨハネの黙示録21章1-5節>には、その世界が描(えが)かれています。

[黙示録 21:5] すると、御座に座っておられる方が言われた。「見よ、わたしはすべてを新しくする。」また言われた。「書(か)き記(しる)せ。これらのことばは真実であり、信頼できる。」
ここには、「わたしは、すべてを新しくする」と書かれています。これは、使徒が語った「回復された宇宙的な世界」のことです。
[黙示録21:4] 神は彼らの目から涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、悲しみも、叫び声も、苦しみもない。以前のものが過ぎ去ったからである。」
失われた神の御国は回復されて、美しいものに変えられ、神様が私たちの目からすべての涙を拭(ぬぐ)い去ってくださる世界がやってくるのです。
[黙示録21:2] 私はまた、聖なる都(みやこ)、新しいエルサレムが、夫(おっと)のために飾(かざ)られた花嫁(はなよめ)のように整(ととの)えられて、神のみもとから、天から降(くだ)って来るのを見た。
神様が与えてくださるその新しい世界の姿は、まるで天から下ってくる花嫁のようだと言いました。黙示録には、罪に苦しむ魂たちの苦しい物語とは違い、救いのグランドフィナーレの物語が描(えが)かれているのです。この美しい世界のグランドフィナーレを見ることができなければ、この悪(あ)しき世界のただ中に生きる私たちは絶望に陥るしかないでしょう。しかし、神様は必ずこの世界を回復すると約束されました。それゆえ、私たちには希望があります。私たちクリスチャンは、「御国は必ず来る」と信じる者たちです。

聖書は非常に急進(きゅうしん)的で革命(かくめい)的な本です。したがって、聖書が読まれるところでは、現状(げんじょう)維持(いじ)や固定(こてい)観念(かんねん)はあり得ません。聖書には、神様が造られた美しい世界が破壊されてしまったことの悲惨(ひさん)さと罪の世界に対する深い理解があり、神様がその世界を放(ほう)っておかれるのではなく、必ず回復してくださる美しい未来が記録されているのです。それゆえ、聖書は堕落した人間に慰めと力を与えてくれます。絶望的な未来を語るのではなく、苦しみの中にある人間が長い夜を耐え、新しい夜明けを待ち望むことができるように、力を与えてくれるのです。
この聖書は、神様が私たちに与えてくださった偉大な書物(しょもつ)です。その中に、神様の夢、失われた王国を回復するという夢がすべて詰(つ)まっています。回復された世界は、花嫁(はなよめ)が飾(かざ)られたように美しいと言われています。神様と人間と自然がひとつになった世界、回復された世界です。漢字では、天地人(てんちじん)です。これは<ヨハネの黙示録>にある「新しい天と新しい地」の預言です。その日が来れば、被造物そのものが腐敗(ふはい)の束縛から解放され、神の子の栄光という自由を手に入れることができるのです。ですから、被造物が熱心に待ち望んでいるのは、神の子どもたちが現われることなのです。

[ローマ8:22] 私たちは知っています。被造物のすべては、今に至(いた)るまで、ともにうめき、ともに産(う)みの苦しみをしています。
被造物のうめ(呻)きと苦しみがあることを、私たちは知っています。パウロは今、人間の堕落による人間自身のうめきだけでなく、宇宙の苦しみについて話しています。すべての自然、全宇宙が今、うめいているのです。今の土地は呪われ、苦しみの中にあります。どこが問題なのか。善良な神には何の問題もない。もし被造物が今苦しんでいるとすれば、問題は堕落した人間にあるのです。もし私たちが本当に神の息子であり相続人であるなら、この被造物の苦しみを聞くことができるはずです。

[ローマ8:23] それだけでなく、御霊の初穂(はつほ)をいただいている私たち自身も、子にしていただくこと、すなわち、私たちのからだが贖われることを待ち望みながら、心の中でうめいています。
被造物だけでなく、私たちにも苦しみがあります。御霊の初穂(はつほ)とは、キリストのことです。私たちは初穂を受けた者です。つまり、私たちはキリストの御霊の種(たね)を受けた神の子どもなのです。私たち自身さえも、うめき、苦しみます。

「私たちのからだが贖われることを待ち望みながら」パウロは、私たちのからだの贖いについて話しています。神の子どもたちは、自分の体の贖いを待ち望んでいます。私たちのからだを見ると、習慣的に罪に浸(ひた)っていることが分かります。私たちには、罪深い習慣があります。ですから、このからだをどのようにして贖うのかが、極めて重要なポイントです。一般的に宗教は、からだに対して厳しい訓練を課(か)します。からだには多くの習慣的な問題があるので、宗教はからだに焦点を当(あ)て、からだに規律(きりつ)を与えることに重点(じゅうてん)を置いています。それゆえ、からだを洗い清め、からだを打(ぶ)ち叩(たた)いて厳しい修行(しゅぎょう)を科(か)し、からだを鍛錬(たんれん)するという大変なことをするわけです。それも良いでしょう。しかし、それだけではありません。もう一つ、からだを変える方法があります。私たちクリスチャンは、聖霊の助けを受けることができます。それは、上から来る恵みを味わうことです。まず信仰の人になること、そして信仰を実践(じっせん)することです。それによって美しい世界が完全に開かれるのです。

パウロがここで語っている「からだが贖われること」には、さらにもう一段階(だんかい)進んだ、深い意味があります。「からだ」という言葉には、個人のからだだけでなく、もう一つの意味があります。パウロは、教会がキリストのからだだと表現しました。[1コリント 12:12] ちょうど、からだが一つでも、多くの部分があり、からだの部分が多くても、一つのからだであるように、キリストもそれと同様です。[エペソ 4:15-16] むしろ、愛をもって真理を語り、あらゆる点において、かしら(頭)であるキリストに向かって成長するのです。16 キリストによって、からだ全体は、あらゆる節々(ふしぶし)を支えとして組み合わされ、つなぎ合わされ、それぞれの部分がその分に応じて働くことにより成長して、愛のうちに建てられることになります。教会とは、キリストのからだです。
<第一コリント12章>と<エペソ人への手紙4章>を見ると、パウロはキリストのからだを建て上げることについて話しています。教会のメンバーとして、私たちはキリストのからだを建て上げているのです。キリストの巨大なからだの完成は、「私たちのからだの贖い」をも完成させます。キリストが頭となり、私たちがその肢体(したい)となって、一つのからだのようになる世界が「神の御国」です。これこそ私たちクリスチャンが究極(きゅうきょく)的に待ち望み、切望(せつぼう)している「からだの贖い」なのです。Ω

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