礼拝説教

私たちへの神様の予知と予定


2024年01月21日

*本文: ローマ人への手紙8章29-30節

[ローマ8:29] 神は、あらかじめ知っている人たちを、御子のかたちと同じ姿にあらかじめ定められたのです。それは、多くの兄弟たちの中で御子が長子となるためです。

神様の「予知(よち)」とは、神様が私たちをあらかじめ知っておられたことを意味し、「予定」とは、神様の召しがすでに準備され、事前(じぜん)に定められていたことを意味します。パウロはここで「予知」と「予定」について話しています。神様の恵みを体験した人は、「神様の恵みがまず私に臨んだので、私は福音を聞き、イエス様を信じることができました」と告白します。福音を聞いた全員がそれを受け入れ、信じるわけではありません。<使徒の働き28章>で使徒は「不信仰の神秘」について語っています。不信仰の神秘とは、世の多くの人が目と耳を持っているにもかかわらず、それでも見ることも聞くこともないということです。 しかし、私たちは神様の御言葉を聞き、それによって信仰を得るに至ったのです。これが恵みです。ですから、私たちには、あらかじめ与えられた「先行的(せんこうてき)恵み(Prevenient grace)」があることが分かります。その先行的恵みこそが「予知予定」です。つまり、パウロは今、神様があらかじめ知っておられた者を召してくださったことを強調しているのです。

これは他でもなく、パウロ自身の経験でした。彼は最初の殉教者(じゅんきょうしゃ)ステパノが石打ちによって殺害(さつがい)された、あの悲惨な死の証人でした。パウロはステパノの死の最も信頼できる目撃者(もくげきしゃ)であり、彼の死を目撃した人々の衣服(いふく)を引き受けました。[使徒 7:58] そして彼を町の外に追い出して、石を投(な)げつけた。証人たちは、自分たちの上着をサウロという青年の足もとに置いた。彼はかつて、執念(しゅうねん)深いキリスト教の迫害者でした。パウロは自分自身を見つめる時に、どれほどの苦しみ、自己非難、絶望を覚えたことでしょう。「主よ、なぜ私のような者をお召しになったのですか」パウロは何度この問いを発(はっ)したことでしょう。正気(しょうき)を保(たも)っていることがどれ程(ほど)難しかったでしょう。自らの欠点、過去に犯してきた数々の過(あやま)ちを見つめながら、何度倒(たお)れそうになったことでしょう。しかし、パウロは倒(たお)れませんでした。自分の中にどれほど深刻な悪と欠点があるとしても、神様は彼をあらかじめ知っておられ、彼を選ぶことを決めておられて、彼を呼ばれたのだということを悟ったのです。これが神様の恵みです。パウロの中にあった予定への確信が、恵みの教理を完全なものにしているのです。予知予定に対する確信を通して、彼は恵みの深い世界を体験し、その恵みの大いなる価値を見いだすことができたのです。

パウロは、神様が彼を愛してくださったのは、彼を救うためだけでなく、その一歩踏(ふ)み込んだ世界のために呼んでくださったと言っているのです。それ以上のものがあると言っているのです。それは何でしょうか。それは、神様が彼をあらかじめ定めておられたということです。神様は彼をあらかじめ知っておられ、神様の愛によって、その御心に従って彼を定めてくださったのです。これこそパウロが固く信じていた予知予定の教理です。

私たちが信仰の道を歩む時、いつ絶望が訪(おとず)れるのでしょうか。「私は必要な人間なのだろうか」という疑(うたが)いが生じる時です。疎外感(そがいかん)や孤独感(こどくかん)に襲(おそ)われ、自分は無価値だという思いが押し寄せてくることがあります。使徒のこの言葉は、今、孤独と絶望の中にいる人々に慰めと励(はげ)ましを与えています。「神様はあなたという人間について何もかも知っておられた上で、あなたを呼んでくださったのです。あなたの醜(みにく)さも、足りなさも神様は全てご存知でした。愛はその全てを覆(おお)うのです。神様はあなたのことを全て知っておられます。」このように使徒は励(はげ)ましてくれています。今、この偉大な使徒パウロはこう言っているのです。「神様を愛する全ての人々よ、イエスを信じる全ての人々よ、救われた全ての人々、そしてこの手紙を読む全ての人々よ。皆さんは、神様のご計画に従って召されたのです。神様は皆さん一人ひとりを、あらかじめ知ってられ、定められ、召されたのです。」この信仰が私たちの中に立てられるなら、私たちは決して揺らぐことがありません。ですから、予知予定の信仰は、揺らぐことのない完全な信仰なのです。

長老派は、ジョン・カルヴァンの教えを基盤(きばん)としています。カルヴァンは絶対予定を強調(きょうちょう)しました。特に彼は「二重(にじゅう)予定(double predestination)」、つまり選択(せんたく)と遺棄(いき)について語りました。選ばれる人、遺棄される人はすでに決定されていると主張(しゅちょう)したため、多くの人々から激しい非難を浴(あ)びました。しかし、カルヴァンが強調したかったことは、「選ばれた人々が享受(きょうじゅ)する神様の驚くべき恵みと祝福」だったのです。カルヴァンが予定説を説(と)き、教えた時代背景(はいけい)を私たちは知る必要があります。カルヴァンが生きた時代は、神様の本性について疑問(ぎもん)が持たれていた時代でした。その後、17世紀から18世紀にかけて、さらに理論化され、理神論(Deism)とか自然神論(natural religion)と呼ばれるようになりました。

理神論とは、神は宇宙を創造したものの、そこからは離れたところにいて、まるで時計が職人(しょくにん)の手を離れて時を刻(きざ)み続けるように、被造物が自然法則に従って自ら運行し続けるに任せている、という思想(しそう)です。理神論は、私たちの内側に生きて働かれる神様の内在性(ないざいせい)と超自然的に働かれる宗教性を否定します。そうして、人々は完全で調和(ちょうわ)のとれた世界に神が介入(かいにゅう)する必要はないと主張し、神様を「外側(そとがわ)」に置いてしまったのです。多くのクリスチャンがこの理神論の影響(えいきょう)を受けました。そのため、神様と人間の関係は冷たくなり、断絶(だんぜつ)されるようになったのです。人間の理性は、このような一見、理にかなった説を考え出し、本当の神様をこの世界から追(お)い出してしまったのです。その結果、人々は遠く離れた神様と何の関わりもなく生きるようになりました。このような時代背景のなか、カルヴァンは憤然(ふんぜん)と声を上げ、「この世の全ては神の主権の下にある。一羽(わ)の雀(すずめ)でさえも、神の許可(きょか)なくして地面(じめん)に落ちることはないのだ!」と宣言したのです。

この世の全てが神様の主権の下にあるとすれば、神様を愛する人々においてはなおさらのことでしょう。私たちの魂の不安はどこから来るのでしょうか。それは、私たちが神様の絶対的な主権と統治を忘れたときに生じるのです。私たちは、神様が歴史と世界を統治なさるお方であることを信じなければなりません。神様は、この世界の生きとし生けるもの全てと関わっておられるお方です。私たちは、神様との関係の中で呼吸(こきゅう)し、生きているのだという確信を持たなければなりません。今、パウロは、私たちにこの確信があるかどうかを問うているのです。私たちは、神様が私たちの人生を治(おさ)められ、その予定に従って働いておられることを信じるべきです。パウロにはこの絶対的な確信がありました。だからこそ、彼はキリスト教の歴史を変えることができたのです。

「御子のかたちと同じ姿にあらかじめ定められたのです。それは、多くの兄弟たちの中で御子が長子となるためです。」 ここに、予定の目的があります。なぜ神様は私たちをあらかじめ定められたのでしょうか。第一に、御子の似(に)姿(すがた)に変えられるためです。私たちの主は、私たちのために死に、復活し、天に昇られたことで、その全生涯において勝利されました。その御子の姿に似(に)るようにと、私たちを定められたということです。ですから、私たちはイエス・キリストに倣って生きなければなりません。第二に、多くの兄弟の中で長子となるためです。これが予定の目的であることを、私たちは覚えておかなければなりません。

[ローマ8:30] 神は、あらかじめ定めた人たちをさらに召し、召した人たちをさらに義と認め、義と認めた人たちにはさらに栄光をお与えになりました。

ここに「召した人たちをさらに義と認め」たとあります。私が義を獲得(かくとく)したのではありません。主が私を義とされたのです。「神は、あらかじめ定めた人たちをさらに召し、召した人たちをさらに義と認め、義と認めた人たちにはさらに栄光をお与えになりました。」「予知、予定、召(しょう)命(めい)、義認、栄化。」救いはこれらの段階を経てなされるものです。大まかに見れば、「義認、聖化、栄化」です。私たちは、栄化の場所に向かっています。時には後退(こうたい)しているように見えることもあり、時には絶望に陥ることもあるかもしれません。うまくいかないこともあれば、別の道を歩むこともあり、失敗をすることもあります。しかし、どのような道を歩もうとも、最終的には神様が全てのことを働(はたら)かせて益としてくださるのです。私たちは、主が私を予知し、私を定め、私を召されたその道を歩んでいくのです。神様は私たちの目的地を定め、私たちが義とされ、最後には栄光を与えてくださいます。聖霊が私たちを栄光の場所へと導いてくださるのです。これがパウロの中にあった確信です。

「さらに栄光をお与えになりました。」ここにパウロの人生の結論が見て取れます。使徒が人生に対して抱(だ)いていた確信を見ることができます。ローマ書を学んでみると、まるでパウロが現代に蘇(よみがえ)って、私たちに語りかけてくれるかのようです。この使徒の証しによって、どれだけの多くの人々が信仰の勇気と力を得て、神様の愛を知り、キリストの素晴らしい恵みを体験したことでしょう。使徒は今日もなお私たちに語りかけています。「神は、あらかじめ定めた人たちをさらに召し、召した人たちをさらに義と認め、義と認めた人たちにはさらに栄光をお与えになりました。」 この使徒の言葉は、私たちの魂に真の平和をもたらします。真の励ましと慰めがこの言葉の中にあります。私たちは皆、使徒の絶対的な予知と予定に対する信仰に倣って生きるクリスチャンになることを願います。Ω

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