礼拝説教

キリストとの同行


2024年03月05日

*本文: ヨハネの福音書 13章 30-38節 、マルコの福音書 14章 27-31節

今日は「キリストとの同行」というタイトルで、ゲツセマネの祈りについて見たいと思います。主は十字架を背負われる前にこの場所(ゲツセマネ)で、神様に最後の祈りをお捧げになりました。福音書の記者たちはイエス様のこの壮絶な祈りの格闘を記録しました。ゲツセマネはオリーブ山にありましたが、主はそこに行って祈られました。このゲツセマネの祈りは共観福音書(マタイ、マルコ、ルカ)に共通して記録されているとても重要な祈りです。ところが、最後に記された<ヨハネの福音書>にはこのとても重要な祈りが抜(ぬ)けています。ヨハネの福音書を見ると、<13~16章>には最後の晩餐と告別説教が、<17章>には残される弟子たちと未来の教会に向けた告別の祈りが記され、<18章>からは本格的にイエス・キリストの十字架の受難が始まります。

なぜヨハネは<ヨハネの福音書13章から18章まで>の間に、他の福音書の記者たちはみな記録したゲツセマネの祈りを記録しなかったのでしょうか。十字架の道のなかでヨハネは何に注目していましたか?それは<ヨハネ13章>にはっきりと記されています。主は重い十字架、苦難の十字架を背負われることをヨハネ13章ですでに決心されていました。それでヨハネはゲツセマネの祈りについて記す必要を感じなかったのかも知れません。ゲツセマネの祈りより前の最後の晩餐で、すでに主のなかに大きな決断がありました。他の共観福音書はイエス様がゲツセマネの祈りを通して「立ちなさい。さあ、行こう。(マタイ 26:46, マルコ 14:42)」と言われ、十字架を背負うことを決意されたと記していますが、ヨハネは13章の最後の晩餐で主がすでに十字架を背負うことを決意されていたことを覚えていました。

[ヨハネ 13:30-32] ユダはパン切れを受けると、すぐに出て行った。時は夜であった。 31 ユダが出て行ったとき、イエスは言われた。「今、人の子は栄光を受け、神も人の子によって栄光をお受けになりました。 32 神が、人の子によって栄光をお受けになったのなら、神も、ご自分で人の子に栄光を与えてくださいます。しかも、すぐに与えてくださいます。

ユダが主を売ろうと考えて出て行き、悲劇の歴史が始まることになりました。今、十字架の死は後戻りできないものになりました。イエス様は十字架を避けようとはせず、むしろ十字架は栄光だと仰いました。この悲劇の場でより大きな愛の歴史が現わされることを堅く掴まれました。

[ヨハネ 13:36-38] シモン・ペテロがイエスに言った。「主よ、どこにおいでになるのですか。」イエスは答えられた。「わたしが行くところに、あなたは今ついて来ることができません。しかし後にはついて来ます。」 37 ペテロはイエスに言った。「主よ、なぜ今ついて行けないのですか。あなたのためなら、いのちも捨てます。」 38 イエスは答えられた。「わたしのためにいのちも捨てるのですか。まことに、まことに、あなたに言います。鶏が鳴くまでに、あなたは三度わたしを知らないと言います。」
主が行かれるその十字架の道にあなたはついて来ることができないと言われたとき、ペテロは主のためなら命も捨てる、と言いました。しかし主は「鶏が鳴くまでに、あなたは三度わたしを知らないと言います。」と言われます。

<マルコの福音書14章27-31節>にも同じ御言葉があります。
[マルコ 14:27-31] イエスは弟子たちに言われた。「あなたがたはみな、つまずきます。『わたしは羊飼いを打つ。すると、羊は散(ち)らされる』と書いてあるからです。 28 しかしわたしは、よみがえった後、あなたがたより先にガリラヤへ行きます。」 29 すると、ペテロがイエスに言った。「たとえ皆がつまずいても、私はつまずきません。」 30 イエスは彼に言われた。「まことに、あなたに言います。まさに今夜、鶏が二度鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言います。」 31 ペテロは力を込めて言い張った。「たとえ、ご一緒に死ななければならないとしても、あなたを知らないなどとは決して申しません。」皆も同じように言った。

「わたしは羊飼いを打つ。すると、羊は散(ち)らされる」という御言葉は<ゼカリヤ書13章7節>にあります。これはゼカリヤの預言です。羊飼いを打つとはどういう意味ですか?弟子たちの羊飼いとは誰ですか?イエス様です。イエス様が攻撃されるという事です。イエス様が殺されるという事です。主はご自分が殺されることを知っておられました。ペテロは断固とした決意をもって、どんな状況が訪れるとしても主を見捨てないと言いました。他の弟子たちもペテロと同じように言いました。しかし、イエス様はペテロに「あなたは鶏が鳴く前に、わたしを知らないと言います。」と言われます。

イエス様はペテロにこのように語られた後、どこへ行かれましたか?ゲツセマネです。それが<マルコ14章32節>からの今日の本文です。しかしその直前に、イエス様は最後の晩餐で弟子たちにパンとぶどう酒をお与えになりながら、これがわたしのからだであり、わたしの血ですと言われ、受難を予告されました。

これに関連して<マタイの福音書26章26-29節>を見ましょう。

[マタイ 26:26-30] また、一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、神をほめたたえてこれを裂(さ)き、弟子たちに与えて言われた。「取って食べなさい。これはわたしのからだです。」 27 また杯を取り、感謝の祈りをささげた後、こう言って彼らにお与えになった。「みな、この杯から飲みなさい。 28 これは多くの人のために、罪の赦しのために流される、わたしの契約の血です。 29 わたしはあなたがたに言います。今から後、わたしの父の御国であなたがたと新しく飲むその日まで、わたしがぶどうの実からできた物を飲むことは決してありません。」 30 そして、彼らは賛美の歌を歌ってからオリーブ山へ出かけた。

<マルコの福音書14章22-26節>にも同じことが記されています。
[マルコ 14:22-26] さて、一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、神をほめたたえてこれを裂き、弟子たちに与えて言われた。「取りなさい。これはわたしのからだです。」 23 また、杯を取り、感謝の祈りをささげた後、彼らにお与えになった。彼らはみなその杯から飲んだ。 24 イエスは彼らに言われた。「これは、多くの人のために流される、わたしの契約の血です。 25 まことに、あなたがたに言います。神の国で新しく飲むその日まで、わたしがぶどうの実からできた物を飲むことは、もはや決してありません。」 26 そして、賛美の歌を歌ってから、皆でオリーブ山へ出かけた。

ここでイエス様が弟子たちにパンとぶどう酒を分け与えられた状況を思い浮かべてみてください。主はとても深刻な思いだったに違いありません。ところが、弟子たちの姿はどうでしたか。

[マタイ 26:30] そして、彼らは賛美の歌を歌ってからオリーブ山へ出かけた。
[マルコ 14:26] そして、賛美の歌を歌ってから、皆でオリーブ山へ出かけた。

弟子たちは歌を歌いながらオリーブ山へ出かけて行きました。そこは、主が汗が血になるまで祈られたゲツセマネの園があるところです。そこへ弟子たちは「歌を歌いながら」入って行きました。その夜が過ぎれば受難の十字架が待っています。つまり、死が迫っているのです。ですから主はどのようなお心だったでしょうか。しかし、弟子たちは歌を歌っていました。これはとても悲しい場面です。

エルサレムは聖なる都でした。そして神殿はエルサレムの非常に高い所に建てられていました。ヨハネはイエス様と弟子たちがキデロンの谷を渡って園に入られたと記録しています。[ヨハネ 18:1] これらのことを話してから、イエスは弟子たちとともに、キデロンの谷の向こうに出て行かれた。そこには園があり、イエスと弟子たちは中に入られた。どうしてヨハネはキデロンの谷を強調したのでしょうか?そしてゲツセマネの園が谷の向こう側だということを強調したのでしょうか?それは神殿から流れ出る水が小川を通って、キデロンの谷に流れ込んでいたからです。過越の祭りになると羊を屠って神殿に血を撒きましたが、あまりにも多くの羊が屠られたので、神殿から流れ出る血が小川を通って流れてキデロンの川を赤く染めていました。だから、キデロンは血の川となっていました。

過越の祭りは、子羊の血によって死の神が過ぎ越したことを記念してユダヤ人が守っていた祭りです。だから過越の祭りになると、世界中からユダヤ人たちがエルサレムに集まって来ました。歴史学者たちは当時、約200万人が集まっていたと推定しています。そして、家族ごとに一匹(いっぴき)の羊を屠ったと計算しても、少なくとも20万匹の羊が死んだことになります。人々は神殿でいけにえを捧げ、その血を神殿に撒きました。そうするとエルサレムの高い所にある神殿から、いけにえとして捧げられた羊の計り知れないほどの血がキデロンの谷に流れ込みました。川の水は見えなくなり、一面血で満ちていたことでしょう。血の川と化していたはずです。主はその赤い血を見つめながら、ご自分の死の意味について深く黙想されたはずです。血に染まった涙と苦痛の谷、赤い谷を通り過ぎて園に入りながら、贖いの羊の死と、またご自分の死の意味を心の奥深くに刻み込まれたことでしょう。

主が羊の血をご覧になりながら深刻に川を渡られるのに、弟子たちはキデロンの谷を渡って園に入りながら歌を歌っていました。そのような深刻な状況で、どうして歌が歌えるでしょうか。彼らはいったいどんな歌を歌ったのでしょうか。弟子たちは主の受難を理解していませんでした。弟子たちの姿を見ると、主の受難の道がどのようなものだったのか知ることができます。主の十字架の道はどんな道だったのでしょうか?それは孤独な道でした。それは主がお一人で歩まれた道でした。とても悲しくて無念な事実です。私たちがこの部分を見ることが本当に重要です。四旬節を過ごしながら私たちがまことに主を慰め、主と共に歩む弟子になることを願います。

エルサレムの市内にはオリーブの木を植えることはできませんでした。聖なる都エルサレムでは堆肥のような汚れた物を使用することはできなかったので、オリーブの木を育てることは不可能でした。だからエルサレムから少し離れたところにオリーブの木を植えていました。

イエス様はオリーブの園(Olivet)で祈られました。オリーブの木の象徴があります。一番目は平和の象徴です。二番目は永遠性の象徴です。イエス様の働きには二つのとても重要な場所があり、一つは神殿で、もう一つはオリーブ山(Olivet)でした。特にイエス様はオリーブ山(Olivet)で永遠の平和の世界、神の国の夢を見、そこで御言葉を教え祈られました。そしてゲツセマネは採油所です。そこには沢山のオリーブの木があり、その実を搾って油を採りました。私たちが「イエス・キリスト」と言いますが、キリストはギリシャ語で「油注がれた者」という意味です。ヘブル語では「メシア」です。イスラエルの民は王を立てるとき、油注ぎをして王としました。ですから、オリーブの木とオリーブ山(Olivet)の象徴性がとても深く、また重要です。

では、イエス様のご生涯を思い起こしてみるとき、イエス様に油を注ぐべき者がいましたか?そうです。主の道をまっすぐにし、主に油を注いで王とすべき者たちがいました。それは誰ですか?<マラキ書3章と4章>を見ると、主の大いなる恐ろしい日が来る前に預言者エリヤをあなたがたに遣わすとあります。そしてバプテスマのヨハネが「エリヤ」の使命を帯びて来ました。主の道を備え、主の通られる道をまっすぐにする者として来ました。しかしバプテスマのヨハネは首をはねられ、その首はヘロデの盆に載せられるという死に方をしました。それは悲劇の歴史でした。バプテスマのヨハネがこのように死んだので、今はヨハネの代わりとなって弟子たちが主の道を備え、主に油を注ぐべきでした。

「イエス・キリスト」というのは、最も簡潔な信仰告白です。「イエスはキリストである」(Jesus as Christ)ということです。これが今は一つの名前になりましたが、そうなるにまでにはかなり長い時間がかかりました。元々は「イエス」と「キリスト」という二つの単語の間には大きな隔たりがありました。

イエス様が生きておられたとき、主は人々から真のキリストとして油注がれることはありませんでした。弟子たちもまた主をキリストとしてまことに崇めることも、主に油を注ぐこともできませんでした。主が十字架につけられて死なれ復活された後になって、彼らはイエス様がまことにキリストであることを悟り、イエス様が彼らのキリストとなられました。

過去の歴史に「もしもこうだったら」と仮定するのは愚かで危険な事ではありますが、もしイエス様がオリーブ山で王なるキリストとして油注がれたならば、どんな歴史が開かれていたでしょうか?違う歴史が開かれたはずです。ともかく、オリーブ山のゲツセマネは主がキリストとして油注がれるべき場所でした。イエス様がキリストとして現わされるべき場所でした。主がその場所でキリストとして証しされるべきでしたがそのようにはならず、主は残酷な十字架で死なれた後に、やっとキリストとして証しされるようになりました。ゲツセマネの祈りを通して、この涙と悲劇の歴史を見るようになります。Ω

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